昨夜は暑くて眠れませんでした。
睡眠時間は6時間、でも、3時間ぐらいしか眠れていない感じがします。
きおんが上がり、これから早くも夏モードにしていかないと、なんて思
いました。
さて、表題の「経験に意味を語らせる」ですが、非常に理解が難しいの
かな〜と思います。JCDA立野理事長の理事長便りを拝読しましたが、
正しく理解し、またそれをカウンセリングの場で活用しきれるようにな
るには、もしかしたら相当の時間が必要になるかもしれませんね。
「防衛」がある。そう、自分を守る為に事実をどう解釈するか、の時に、
自分の心を守る為の防衛的な解釈をする、ことがあるのです。理事長の
通信では、イソップ物語の「キツネとブドウ」の話の例でご説明して
下さいました。
「キツネが、たわわに実ったおいしそうなブドウを見つける。
食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度
跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、『どうせこんなぶどうは、すっぱ
くてまずいだろう。誰が食べてやるものか。』と捨て台詞を残して去る、とい
うものです。」このキツネの行為(捨て台詞)が「合理化」という名の「防衛」
です。
キツネは、本当は食べたかった。でも、自分のジャンプ力のなさ、体の小ささ
から、食べれなかったんですよね。
この時のキツネの気持ちには、どんなものがあるでしょう?
〇 食べれずに悔しい〜。
〇 なんて自分はダメなんだ。
〇 あと少し低いところにあれば。
〇 鳥に食べられてしまうのかな〜。
色々あったかもしれませんね。
その中で、「なんて自分がダメなんだ。」と思っていれば、どんどんと落ち込んで
いくことになります。なので、「どうせ、酸っぱいブドウだろ。」と捨て台詞を
吐いてその場を立ち去り、自分を防衛している、ということなのかな、と思います。
この防衛、決して悪いことではないと、私は思います。
あまりにも、“出来事を自分にとってマイナスな意味づけしていること” をして
いると、大変暗い気分にばかり包まれ、落ち込んじゃいますよね。
ただ、「どうせ酸っぱいブドウだろう。」という風な捉え方ばかりしていると
それもまた、「自分の心を偽る」こと(立野理事長の言葉より)になってしまいます。
そこで、「どうせ酸っぱいブドウだろう。」ではなく「なんて自分はダメなんだ〜。」
でもなく、手が届かなかった事実を ➀ 素直に、「届かなかったな〜」と感じ、
A 届かなかったことから、別の思いや気持ち、考え、を探る作業、が「経験の声を
聴く」ということなのかな、と思います。
「残念だったな〜。あの時はしばらく甘いものを食べれたなかったから、久々の
ブドウだと、期待が大きくなって、その分悔しかったんだな〜」と思うかもしれない、
また、「食べれなかったのは、自分がジャンプを最近してなかったからだな〜。ジャンプ
もたまにはしておかないと、出来なくなるものだな〜」と思うかもしれない。
また、「友達のAキツネだったら、採れたかも。Aキツネと最近ご無沙汰しているから
久々に会ってみてもいいかもな〜。協力して採ればいいよな〜」なんて思うかも
しれない。
こんな振り返りができることのお手伝いをすることが出来ればどうでしょう。
私は、キツネのこれからの行動や生き方が少し変わるかもしれないな〜なんて思います。
2017年05月21日
「経験に意味を語らせる」
posted by 川瀬英作 at 09:06| Comment(0)
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